|
夕暮れのマッターホルン(4,478m)をバックに スイス・ツェルマットにて2006.9.16 |
|
今年4月 趣味のスクエアダンスで支部役員になり 慌しい月日を過していました。時間がチョッと空いたのでインターネットで見つけたスイス・ハイキングへ行ってきました。
スイスは樺太くらいの緯度に位置し 北海道の約3/4位の大きさで その内70%が山岳地帯 人口は716万人の小さな国でした。
マッタホルンの麓 ツェルマットなど山岳lリゾートにのんびり6泊してハイキングを楽しんで来ました。
ジュネーヴから入ったシャモニ・モンブラン(4,807m)は3,842mのエギーユ・デュ・ミディまで行ったのですか吹雪で何も見えませんでした。
その日 夕方入ったツェルマットからのマッターホルンは神々しく美しかったです。
|
|
ツェルマットのホテル アンタレスの部屋バルコニーから真正面に夕暮れのマッターホルンを望む |
|
ツェルマット 北東側から眺めたマッターホルン 有名な北壁は右側 東壁が左側です。
[スイス豆知識]
スイスの国語と国名は固有の言語はなく隣接する国に関係してドイツ語シュヴァイツSchweizs、フランス語スイスSwizzera、イタリア語スヴィツェラSvizzera、ロマンシュ語スヴィズラAvizraの4つです。
日本でスイスと呼んでいるのはフランス読みだったのですね。ガイドブックも英語を含めて4ヶ国語が載っています。
|
|
ツェルマット・バーンホフ通りのエドワード・ウィンパー碑 |
|
マッターホルンはエドワード・ウィンパーによって初登頂(1865年)されました。下山の時 ザイルが切れ仲間が滑落 その直後 雲海に表れたブロッケン現象の話は有名ですね。
遭難死した仲間の墓(次の写真)はバーンホフ通りの教会裏にありました。
|
|
初登頂後の遭難者の墓 |
|
|
|
ローテンボーデン(2,819m)から下山の途中 ガスに包まれたマッターホルンをバックに |
|
|
|
ローテンボーデンからリッフェルベルクへのハイキングにて |
|
|
|
ハイキングの終着リッフェルベルク駅近くの山小屋にて無事到着の乾杯!! |
|
|
|
ツエルマットの道端にて |
|
|
|
ツェルマットのバーンホフ通り 村内はガソリン車の乗り入れが禁止 電気自動車か馬車のみ可。 |
|
|
|
ツェルマット バーンホフ通り |
|
|
|
ツェルマットの山岳ホテル群 落着いたリゾート地でした。 |
|
スイスのホテルは清潔と快適さは保障されており 等級の星の数は施設面の差位です。
|
|
ユングフラウ(4,158m) ユングフラウヨッホ(3,454m)から |
|
|
|
ユングフラウヨッホ展望台(3,571m)からの望むアルプスの山々 |
|
|
|
ユングフラウヨッホ展望台(3,571m)からの望むアルプスの山々 |
|
|
|
ユングフラウヨッホ展望台(3,571m)からの望むアルプスの山々 |
|
|
|
メンヒ(4,107m) ユングフラウヨッホ展望台スフィンクス(3,571m)から |
|
|
|
アイガー北壁駅の展望窓から北壁を見下ろす |
|
|
|
ユングフラウヨッホ展望台(3,573m)からアレッチ氷河を望む。 |
|
|
|
アイガーグレッチャー(2,320m)からユングフラウ、メンヒ、アイガー(3,970m)を背景に快適なハイキングでした。 |
|
|
|
アイガーグレッチャー(2,320m)からのハイキング分岐点にて |
|
|
|
ヴェッターホルン(3,701m)を望む クライネシャイデック(2,061m)から |
|
|
|
山岳地帯のスイスは何所に行っても この様な綺麗な風景でした。 |
|
|
|
インターラーケンのホテルバルコニーから乙女と言う名のユングフラウ(4,158m)を望む |
|
|
|
ユングフラウ観光の基地 インターラーケン ヘーエマッテ広場にて |
|
|
|
ルツェルンのシンボル「カペル橋」にて 背景はピラトゥス山(2119m) |
|
14世紀初頭に ロイス川の北岸と南岸を結ぶ交通路 そして敵の侵入を阻む防衛橋として
建造された全長200mの屋根付き木造橋。
中ほどの塔は灯台をかねた見張り塔 橋の側面は四季の花々で飾られていました。
背景の切り立った山は魔の山と呼ばれたピラトゥス山(2119m)。
1889年には頂上直下2067m地点まで ロープウェイと登山鉄道が敷かれたそうです。
|
|
殉死したスイス傭兵の追悼碑「ライオン記念碑」死に瀬したライオンのレリーフ前にて |
|
スイスの70%は山岳地帯でこれと云った産業もなく 16〜18世紀にスイスは他の国々に
スイス兵を傭兵として貸し出すことで財力と国力をつけて云ったそうです。
背景のレリーフ「死に瀬したライオン」はフランス革命さなかの1792年 パリでルイ16世とマリーアントワネット王妃一家を警護し殉死した786名のスイス傭兵の追悼碑です。
十字マークの盾と折れた槍を傍らに心臓を射抜かれ横たわる瀕死のライオンは 命にかえて職務を果たしたスイス傭兵を表しており 彼らの忠誠心を称しているそうで
スイス人にとっては特別な場所です。
1974年 SDコンベンションで訪問した
アメリカ・テキサス州サンアントニオの「アラモの砦」と同様な意味の場所でした。
|
|
ハイジのふる里マイエンフェルトにて |
|
|
|
ハイジ のふる里 マイエンフェルト を二人でのんびり散策しました。 |
|
|
|
「アルプスの少女ハイジ」の村 マイエンフェルトにて |
|
|
|